大判例

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東京高等裁判所 昭和33年(う)2590号 判決

控訴人 被告人 吉川進 外一名

弁護人 藤川成郎 外一名

検察官 大津広吉

主文

原判決中被告人中島優介に関する有罪部分及び被告人吉川進の原判示第一の罪に関する部分を破棄する。

被告人中島優介を原判示第三の罪につき懲役四月に、原判示第四及び第五の罪につき懲役一年に各処する。

同被告人に対する原審未決勾留日数中一五〇日を右懲役一年の刑に算入する。

但し本裁判確定の日から四年間右各懲役刑の執行を猶予し、その期間中同被告人を保護観察に付する。

原審訴訟費用中、証人中村芳夫、同石鍋チエ子、同村井金義、同松永千恵子に支給した分は同被告人と原審相被告人吉川進との連帯負担とし、証人新井繁男に支給した分は被告人中島優介の負担とする。

被告人吉川進を原判示第一の(二)の罪につき懲役四月に処する。

同被告人に対する本件公訴事実中、公務執行妨害(原判示第一の(一)に該当)の点は同被告人は無罪。

同被告人の原判示第二及び第五に関する控訴はこれを棄却する。

理由

本件控訴の趣意は被告人吉川進及びその弁護人藤川成郎各作成名義、被告人中島優介の弁護人浜本辰夫作成名義の各控訴趣意書のとおりであるから、これらをここに引用し、これらに対し次のとおり判断する。

藤川弁護人の論旨第一点、被告人吉川進の論旨一、

よつて按ずるに、

憲法第三三条、刑事訴訟法第二〇一条第一項によれば、逮捕状によつて被疑者を逮捕するには、逮捕状を被疑者に示さなければならないし、また刑事訴訟法第二〇一条第二項第七三条第三項によれば、逮捕状を所持しないためこれを示すことのできない場合で急速を要するときは、被疑事実の要旨及び逮捕状が発せられている旨を告げなければならないとされているのであるが、これらの規定は被逮捕者の基本的人権と極めて重大な関係を有する厳格規定であるから、これらの方式を履践しない逮捕行為は違法であつて、法律上保護せられるべき法益に当らないものと解すべきである。

さて本件について見ると、原審第四回(昭和三三年六月五日)公判調書中、証人石鍋チエ子、同第五回(同年七月三日)公判調書中、証人菊地政良、同村井金義の各供述記載、菊地政良の検察官に対する供述調書及び当審公判廷における証人菊地政良の供述を綜合すれば、内山勝男に対し窃盗被疑事実について逮捕状が発せられたので、蔵前警察署捜査係巡査菊地政良において、これを保管し、同人を逮捕するため同人の所在発見につとめていた折柄、昭和三二年二月七日午後一一時頃右菊地巡査が蔵前署に宿直中、予ねて内山勝男が立ち廻つた場合、連絡方を依頼してあつた本件台東区竹町二四番地喫茶店「あすなろ」から右内山勝男が同店に来合せている旨電話連絡があつたので、菊地巡査は同僚巡査一名と共にこれを逮捕すべく同店に赴き、同僚の巡査は同店の表に待機させ、単独で同店に入り、同店内において内山勝男と認めた男に対し、自己が蔵前署の刑事であること並に同人に逮捕状が発せられている旨を告げ同人を逮捕すべく、警察手帳を示したところ、同人は内山ではないと弁疏したが、菊地巡査は連絡のあつた服装等からその男は内山に相違なしとして、何でもよい兎に角一緒に来るようにと同人の手を掴んで引き立て逮捕しようとしたとき、偶々同店内に居合わせた被告人吉川進が菊地巡査に対し、何で俺等の顔を見るのだ刑事なら警察手帳を見せろ、逮捕状が出ているなら逮捕状を見せろと恕鳴つたので、菊地巡査は被告人吉川に対し、君には用はない、警察手帳はこれだと云つて同被告人にこれを示し、更に内山を引き立て逮捕しようとした時、内山が菊地巡査の手を振り切ると同時位に、被告人吉川はその場に居合せた外数名の者等と共に立ち上つて菊地巡査の洋服の袖等を引張り、話があるから表へ出ろとその体を押して菊地巡査を同店表道路に押し出した事実が認められるが、その際菊地巡査は内山勝男に対する逮捕状を所持していた事実を確認し難いのみならず、逮捕状を内山勝男なる者に示すべきいとまがなかつたものとは到底認め難いに拘らず、同人にこれを示していないことは勿論被疑事実の要旨すら告げていないことも明白である。そして本件においては蔵前警察署に在署し且つ内山勝男に対する逮捕状を直接保管していた菊地巡査が連絡によつて同署から「あすなろ」へ内山勝男を逮捕すべく出発しているのであるから当然逮捕状を携行し、逮捕に当つてこれを示すべきに拘らず、ただにこれを示さないのみならず、被疑事実の要旨すら告知しないで逮捕に著手しているのであるから、本件逮捕行為は法定の法式を履践していない違法のものであつて、刑法上保護に値する公務の執行に該当しないものと云わねばならない、従つて、これを排除する為已むを得ない行為であるときは、正当防衛であつて公務執行妨害罪を構成しないものと解せられるのである。而して、被告人吉川が前記外数名と共に菊地巡査を前記「あすなろ」の店外に押出したのは、同巡査の内山なる者に対する不法逮捕行為を排除する為になされた已むを得ない行為と認め得るから、同被告人の行為は正当防衛に該当し、未だ公務執行妨害罪を構成するものとは認められないのである。しかるに被告人吉川の右所為を公務執行妨害であると認めた原判決は法令の解釈を誤つたか事実を誤認したかの何れかであつて、その誤は勿論判決に影響を及ぼすものであり、論旨は何れも理由がある。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 山本謹吾 判事 渡辺好人 判事 石井文治)

被告人吉川進の弁護人藤川成郎の控訴趣意

第一点法令適用の誤(公務の適法性欠缺による公務執行妨害罪の不成立)

原判決は被告人に対し公務執行妨害罪の責を問うている(判示第一(一)の事実)。すなわち、被告人は数名と共謀のうえ「巡査菊地政良(当時三十一年)が窃盗の被疑者内山勝男に警察手帳を示し逮捕状が発布されている旨を告げて逮捕しようとするのを目撃するや」これを妨害したというのである。被告人は当時現場に居らず右事実に全く関与していないのであるが(被告人の控訴趣意書記載の通り)今この点を論外としても菊地巡査の判示職務執行は被疑者逮捕の法律要件を具えぬ違法行為であり、これに対する妨害は公務執行妨害罪の構成要件に該当せず罪とならないものであるから、かかる所為につき刑法第九五条第一項の刑を科した原判決は明らかに同法条の解釈を誤つたものであつて破棄さるべきである。

(一) 公務執行妨害罪の構成要件たる公務は適法なることを要するとするは判例及び多数学説の一致して承認するところである。しかるに、原判決判示の職務は違法なのである。菊地政良巡査は内山勝男に対し、窃盗の逮捕状が出ている旨をつげ、同人が人違いだというのもかまわず、その身体に手をかけ連行しようとしたのである。すなわち、強制処分たる逮捕行為を開始しているのである。訴因及び原判決判示事実もこれを認める趣旨であつて、証拠上も同巡査が強制力を行使したことは明らかである。菊地巡査の検察官に対する供述調書によれば同巡査は「何でもいいから兎に角聞き度い事があるから一緒に来て呉れと云つて同人の手を掴んで引き立てようとした」(記録二七六丁)のである。公務執行妨害罪が成立するためには同巡査の右行為が適法なる職務執行でなければならない。刑事訴訟法によれば逮捕状による逮捕は逮捕状を被疑者に示してなさねばならず(二〇一条一項)、逮捕状を当該公務員が所持していないためこれを示すことができない場合においては(1) 急速を要する場合に限り、(2) 被疑者に対し被疑事実の要旨及び逮捕状が発せられている旨を告げた上、これをなすことが例外的に認められているのである(二〇一条二項、七三条三項)。菊地巡査の前記行為は右法条の要請している重要なる手続形式(Wesentliche Formlichkeiten)を遵守せぬものである。第一に同巡査は警察署において喫茶店「あすなろ」のバーテンから被疑者内山らしき男がきている旨の電話連絡をうけて逮捕すべく「あすなろ」におもむいたのであるから、その際逮捕状を呈示するためこれを所持して行くべきであつた。しかるに同巡査は逮捕状を携行しなかつたことは勿論のこと(同巡査は「持つて行つた様に記憶していますがはつきり憶えていません」と証言しているが(記録二〇六丁)他の全証拠よりして逮捕状を所持していなかつたことは明らかである。)、およそ逮捕状呈示の必要等全然考えもしなかつたように行動している。もし同巡査が当時逮捕状呈示の必要を心掛けていたならば、逮捕状の所在をききただし、或は現場に急行するため自ら携行しなくても同僚に(現にその一人は現場に同行した。)後から持つてこさせる等の措置をとつたはずであるが、同巡査の証言及び検察官に対する供述調書をみてもかかる態度の片鱗だにみいだせないのである。かくのごとく逮捕状呈示ができた状況にありながら呈示のためなんらの努力もなされることなく行われた本件逮捕は、「急速を要するとき」になされたものと言うことができない。刑事訴訟法は第一に逮捕状の呈示を要求しているのであつて、捜査官が誠実に努力しても逮捕状の呈示が客観的に不可能な状況において初めて急速を要するときといえるのである。菊地巡査等の本件に表れた行動は人権保障規定中につつましやかに取入れられた例外規定が捜査官憲によつて不当に拡張解釈された原則規定にとつてかえられようとしている実情の一端を示すもので断然黙過しえないところである。第二に同巡査は被疑者内山に対し「被疑事実の要旨」を告げずに逮捕しようとしている。刑事訴訟法第二〇一条第二項の要求している被疑事実の要旨の告知は逮捕理由たる犯罪を明示する逮捕状の呈示に代わるものであるから、逮捕状記載の事実と一字一句同一である必要は勿論ないが、特定の犯罪であることを示すに足る程度の具体性(それは日時、場所、被害者等の摘示で達せられる。)をもつ事実の告知たるを要し、単に抽象的な罪名を示すだけではいけないのである。(これと同一の判断を示している判決として福岡高等裁判所昭和二七年一月一九日高等裁判所判例集五巻一二頁がある。)菊地巡査は窃盗の逮捕状がでていると告げただけであるから刑事訴訟法第二〇一条第二項、第七三条第三項所定の基本的手続形式を遵守しなかつたものである。以上の如く菊地巡査の本件逮捕は刑事訴訟法が人権尊重の立場から設けた逮捕手続の本質的要件を具備せぬ違法な職務の執行といわねばならない。

(二) ところで職務の適法性を定める標準については当の公務員がこれを適法と信じていた場合職務が適法か否かを裁判の当時客観的に認定すべきものか(客観説)、当の公務員の主観によつて定めるべきか(主観説)の問題があり弁護人は客観説が正しい刑法解釈であると信ずるがそれはさておき菊地巡査の逮捕行為は叙上の如く客観的に不適法なることは明らかなばかりでなく、その法規違背が社会通念上認容さるべき事情の下になされたともいえず、むしろ同巡査自身その不適法なることを感じておつたと認められるのであつていかなる立場からもこれを適法なる職務ということができないのである。逮捕状を示さずにする逮捕の要件たる「急速を要するとき」であるか否かにつき当該捜査官に裁量権があるとの立場をとつたとしても、その裁量は職務に適つた裁量(Pflichtmassiges Ermessen)であるを要し、逮捕状呈示の手続を履践する努力をなしていない同巡査が仮令急速を要する場合であると考えたとしても、かかる者の判断によつて手続が適法とさるべきではない。

さらに同巡査は被疑者内山の顔は知らず、これ又同人を知つていないバーテンから服装等をきいただけで同人を逮捕しようとしたのであつて(記録二七四丁)、内山はその際人違いだといつて同行に応じなかつたのであるから、この場合逮捕の理由を示す被疑事実の要旨の告知は是非ともなさねばならなかつたのであり、「何でもよいから」こいというがごときは刑事訴訟法の手続を無視した不法逮捕という外はないのである。その後数名の者から逮捕状を見せろといわれながら表まで押しだされながら、菊地巡査ももう一人の警察官もその妨害行為が公務執行妨害罪である旨を警告したような事実も一件記録上みいだすことができない。かかる妨害にあつた場合警察官は公務執行妨害罪の現行犯として、行為者を逮捕するか少なくともその不法なることを警告するのが普通であり、同巡査がそのような行動をとらなかつたことは、逮捕状を示せと詰問されて自己の行為の不適法なることを感じていたことをうかがわせるのであつて、本件逮捕はその意味からも不適法である。以上述べた如く菊地巡査の行為は刑事訴訟法第二〇一条第二項、第七三条第三項が人権保障のため要請した本質的手続に違反し、且つ同巡査の判断は当時の状況において一般に認容しうるような性質のものでないから、不適法なる職務の執行たること明白である。なお、これらの点に関連して若干の高等裁判所判例が存在するがそれらは、或は具体的事実につき錯誤があつたため条件を具備したと信じた場合(大阪高裁昭和二八年一〇月一日判決、高裁判例集六巻一一号一四九九頁)或は適法なる裁量権の行使に誤りがあつた場合(東京高裁昭和二五年一二月一九日判決、高等裁判所刑事判決特報一五号五一頁)であつて本件の如く逮捕状を示さぬ逮捕の二大要件を二つとも具備しなかつた場合とは事案を異にするものである。以上の次第で本件逮捕は適法性を欠きこれに対して妨害をなすも公務執行妨害罪は成立しないのである。ここに一言すべきは本件が一年以上もたつてから、起訴されたことである。それは本件を起訴することによつて被告人が喫茶店「あすなろ」において始終不法行為を働いているような印象を与えることにより別件恐喝及び脅迫の訴因につき裁判官の心証形成に対し不当なる影警を与えんとしたためではなかろうか。すでに忘れられていた事件が古い戸棚から引張りだされ、被告人にむすびつけられて本件起訴となつたものである。本件所為は仮令被告人の関与したものとしても叙上の理由により罪とならないものであるから、貴裁判所におかれては憲法第三一条、第三三条に基く人権保障規定のゆるぎなき存在を宣言する意味において本件逮捕行為の不適法なることを認め、原判決を破棄し、被告人に対し無罪の判決下さるよう切に希う次第である。

被告人吉川進の控訴趣意

一、公務執行妨害

昭和三十二年二月七日頃近所の「台東区竹町二十四番地」「アスナロ」喫茶店に行きました。私が入つて行きました時、知人の村瀬さん、奥田等が「ビール」を飲んで居り私にも飲む様進められ一緒に「ビール」を飲み雑談等を致しておりました。私が「アスナロ」喫茶店に来る前喧嘩が有つたとの事でした。裁判所におきまして再三証人を呼んでお調べ下され、私が「アスナロ」喫茶店に行く前に有つた喧嘩が公務執行妨害と云う事がわかりました。喧嘩の有つた後に行き村瀬さん奥田等と一緒に飲んで居りましたので、一年数ケ月も前の事でその時私も一緒に喧嘩したと勘違いしているのではないかと思いました。もし私が公務執行妨害を致して居りましたならば「アスナロ」喫茶店に聞きに来ればわかる事です。私は毎日の様に「アスナロ」喫茶店に行つて居りました。一年数ケ月もたつてわけのわからなくなつてしまつた今日にいたり公務執行妨害をしたと云う事ですが覚えのない事であります。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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